〇「今日の易占から」
- 今日の易占は「離為火」の「初爻変」でした。
- 「離」(り)は、火(明)が重なっていて(炎)、情熱と理屈が先行し突っ走ると角が立ちます。また炎は何かに結びつ(麗)かないと持続できません。
- 「初爻変」ですからスタートが大切、足元をしっかり見て慎重に動き出すことが必要ですね。
- 本日のテーマは、「情熱は心に秘めて」とします。
〇「地域を楽しむ」
- 地元にある四條畷神社の境内に、「淀川の治水翁」と呼ばれる大橋房太郎氏を顕彰する石碑が建っています。
- この碑は、大橋氏の業績を顕彰するために有志の手で、氏の先祖が楠氏に深い関わりを持っていたことから、この地に建立されたものです。(石碑の文字は後藤新平の揮毫による)
- 大橋氏は、大阪の放出(はなてん)出身の大阪府議会議員として、その生涯を淀川改修に身を投じ、20年以上の歳月をかけて、大規模な洪水災害から大阪の都心部を護る一大プロジェクトを成し遂げました。1909年(明治42年)のことです。
〇「観る力を養う」
- 淀川は、大阪にとっては大和川とともに「母なる川」といえるでしょう。
- しかし、河川は大雨が降ると洪水を起こして、人間社会に大きな災害をもたらすことも多々あります。
- 当時の淀川は、大橋氏が25歳で体験した明治18年の「枚方・三矢地区の堤防決壊に始まって大阪市域に及ぶ大洪水」を含めて、明治の時代だけでも6回の水害が起きていました。
- その頃東京で、法律家の道をめざしていた大橋氏は、意を決して大阪に戻りますが、日々の生活を確立するために、まずは結婚して米屋を開業します。
- 27歳の時に地元・放出地区の戸長(行政官)となり、大阪府知事にも直に淀川改修の必要性を訴え続けます。
- そして、31歳の1891年(明治24年)に大阪府議会議員に選出されて以降は、政治家・大橋房太郎として国への働き掛けにも全力を傾けました。
- 大橋氏は、大阪の地と人々を洪水災害から護りたいという「情熱」を心に秘め、足元を固めながら145㎝の身体で炎のように周囲を巻き込んでいきます。
- ついに1896年(明治29年)、帝国議会で改修事業の予算が可決された際は、「淀川万歳」と大声で叫び、守衛に議場外までつまみ出されるような熱血漢でした。