〇「今日の易占から」
- 今日の易占は「地火明夷」の「上爻変」でした。
- 「明夷」(めいい)は、アイデアや能力が世間から認められない状況ですが、腐らずに自分に磨きをかけるときです。
- 「上爻変」ですから、まだまだ修行が足りません。地道に学び続けます。
- 本日のテーマは「下積みと下座行」とします。
〇「地域を楽しむ」
- 当地・四條畷市には、1903年(明治36年)に大阪府域で10番目に設置された旧制中学校、大阪府立四條畷高等学校があります。その立地にいたる経緯は、以下のとおりです。
- 当時の甲可村(四條畷市の旧地名)が位置する北河内郡では、師範学校の誘致を計画しましたが、財政面などから中学校(旧制中学校)誘致運動へと切り替えられました。
- 当然、郡役所所在地の枚方町(現在の枚方市)が候補地に挙がったものの、北河内には甲可村という、師範学校誘致の経緯から人材育成の代表的なモデルであった大楠公・楠木正成の嫡男の楠正行(小楠公)を祀る四條畷神社が鎮座する地がありました。
- また、現在の京阪本線は当時開業前のため大阪方面との交通の利便性から、関西鉄道(現在のJR学研都市線)が通る立地条件も加味され、この甲可村への中学校設置が決定したとされています。
- 校舎改築に際し、2005年(平成17年)には、本館校舎がモダニズム建築の歴史建造物として国の登録有形文化財に登録され、また、飯盛山上に立つ小楠公・楠正行像の原型となった像は、今も同校に保存されています。
〇「観る力を養う」
- 「下積み」とは、「他のものの下にあって、上に積まれること」から、「自分の能力を発揮できないまま、低い地位や立場にあること」を意味します。
- 「下座行」は、30歳代で大阪府天王寺師範学校(現在の大阪教育大学の前身)の教鞭をとった教育者であり哲学者・森信三氏が説いている言葉で、以下は『修身教授録』の「第22講 下坐行 」から抜き出した部分です。
「すべて物事には、基礎とか土台とかいうものが必要です。…事が起きるとか、あるいはまた永い年月がたつか、そのいずれかによって、…ホンモノかニセモノかが明らかになるわけです。」
「われわれ人間も、どうしても真実を積まねばならぬわけですが、しかし事を積むには、まずその土台からして築いてかからねばなりません。…その人が、いかに才知才能に優れた人であっても、またどれほど人物の立派な人であっても、下坐を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、免れないように思うのです。」
「下坐とは元来下座ということであって、つまり一般の人々より下位につくこと…自分を人よりも一段と低い位置に身を置くこと。言い換えれば、その人の真の値打よりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。そしてそれによって、自分の倣慢心が打ち砕かれるわけです。」
「つまり世間がその人の真価を認めず、よってその位置がその人の真価よりはるかに低くても、それをもって、かえって自己を磨く最適の場所と心得て、不平不満を言わずわが仕事に精進する…」
- 「下積み」と「下座行」は、よく似ているようですが、自分自身を観る心構えに大きな違いがあるように思います。