易経で自分らしさを磨く

~『易経カード』を人生のシグナルに~

「下積みと下座行」

〇「今日の易占から」

  • 今日の易占は「地火明夷」の「上爻変」でした。
  • 「明夷」(めいい)は、アイデアや能力が世間から認められない状況ですが、腐らずに自分に磨きをかけるときです。 
  • 「上爻変」ですから、まだまだ修行が足りません。地道に学び続けます。
  • 本日のテーマは「下積みと下座行」とします。

 

〇「地域を楽しむ」

 〇「観る力を養う」

  • 「下積み」とは、「他のものの下にあって、上に積まれること」から、「自分の能力を発揮できないまま、低い地位や立場にあること」を意味します。
  • 「下座行」は、30歳代で大阪府天王寺師範学校(現在の大阪教育大学の前身)の教鞭をとった教育者であり哲学者・森信三氏が説いている言葉で、以下は『修身教授録』の「第22講 下坐行 」から抜き出した部分です。

「すべて物事には、基礎とか土台とかいうものが必要です。…事が起きるとか、あるいはまた永い年月がたつか、そのいずれかによって、…ホンモノかニセモノかが明らかになるわけです。」

「われわれ人間も、どうしても真実を積まねばならぬわけですが、しかし事を積むには、まずその土台からして築いてかからねばなりません。…その人が、いかに才知才能に優れた人であっても、またどれほど人物の立派な人であっても、下坐を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、免れないように思うのです。」

「下坐とは元来下座ということであって、つまり一般の人々より下位につくこと…自分を人よりも一段と低い位置に身を置くこと。言い換えれば、その人の真の値打よりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。そしてそれによって、自分の倣慢心が打ち砕かれるわけです。」

「つまり世間がその人の真価を認めず、よってその位置がその人の真価よりはるかに低くても、それをもって、かえって自己を磨く最適の場所と心得て、不平不満を言わずわが仕事に精進する…」

  • 「下積み」と「下座行」は、よく似ているようですが、自分自身を観る心構えに大きな違いがあるように思います。