〇「今日の易占から」
- 今日の易占は「沢水困」の「四爻変」でした。
- 「困」(こん)は、周囲が塞がれ必要不可欠な水すらない厳しい状態なので、今は耐え忍んで力を蓄えます。
- 「四爻変」ですから、苦しい状態が続きますが、そのうち協力者を得て目標達成に向かいます。
- 本日のテーマは「有終の美」とします。
〇「地域を楽しむ」
- 当地域ゆかりの人物:小楠公・楠正行は、1348年(正平3年)正月の「四條畷の合戦」を最後に、自ら23年という短い生涯のピリオドを打ちました。
- 正行の生涯は、まさに「有終の美」という言葉にふさわしいと考えます。
- その理由は、「自死」を美化するような、単に「父の遺訓を果たすために潔い死を選んだこと」ではありません。
- 正行は正行なりに、「いかに厳しく苦しい状況に置かれても、その時代に自分だからこそ果たせる使命・役割をやり遂げたこと」そのものが、この言葉の当てはまるところだと思うのです。
〇「観る力を養う」
- 今日のテーマ「有終の美」は、「物事を最後までやり通して、立派に仕上げること」を指しています。
- 「有終」の語源は、中国古典で四書五経にも数えられる『詩経』の詩の一節からといわれています。
- 読み下し文では、「初め有らざること靡(な)し、克く終わり有ること鮮(すく)なし」となります
- 位についた当初は立派な王も、やがて乱れた政治を行って国を混乱させることが多いという歴史上の教訓から、「ものごとには必ず始まりがあるが、うまく終わりを迎えることができることは少ない」という意味で使われています。
- この「終わり有る」から生まれた「有終」ですが、私はこの語源を「美」という言葉と共に、『易経』の「困」卦や「坤」卦(今回は説明できませんが)に求めたいと考えます。
- 人は、何をどのような評価基準によって「有終」すなわち「物事を最後までやり通して、立派に仕上げた」と観るのでしょうか。「美」とは形や結果だけを観て評価するのでしょうか。
- 私自身のこれまでを振り返ると、「有終の美」も耳の痛くなる言葉の一つですが、極言すれば「有終」にも「美」にも絶対的な物差しはなく、自分にしか観えない主観的なものなのかもしれません。
- ただこれを、「いかに困難な状況に置かれても、その時代にその環境下にあって、自分だからこそ果たせる使命・役割をやり遂げること」と定義するとき、『易経』が説く「有終」と「美」の奥深さを観じる必要があると考えるのです。