〇「今日の易占から」
- 今日の易占は「天風姤」の「四爻変」でした。
- 「姤」(こう)は、安定していた体制が揺らぎ始め、その兆しが観えるときです。新たな事柄にも遭遇します。
- 「四爻変」ですから、協力者を失う恐れがあります。空気を読むことも必要ですね。
- 本日のテーマは、「ゆらぎの始まり」とします。
〇「地域を楽しむ」
- 当地域・四條畷のJR学研都市線・忍ケ丘駅から西に歩いて10分以内のところ、岡山地区の通称「忍岡(しのぶがおか)」は、標高35mにあって頂上に「忍陵(しのぶがおか)神社」が鎮座しています。
- この「忍岡」は、古墳時代前期から近現代に至るまで、語られるべき歴史文化が幾重にもなっている貴重な場所です。
- 1615年(元和元年)5月、徳川方が豊臣家を討ち亡ぼした「大坂夏の陣」で、時の二代将軍・秀忠の陣がこの地「忍岡」に布かれました。
- 夏の陣が終わって以降、この地は「御勝山」と命名されたことが、かの貝原益軒の『南游紀行』にも記されています。また現地には、これを説明する立て札が建てられ、『四條畷郷土史カルタ』にも詠まれています。
〇「観る力を養う」
- 今日のテーマ「ゆらぎの始まり」から、「大坂夏の陣」」で大坂城が落城してから後のことについて、取り上げてみました。
- 1619年(元和5年)、二代将軍・徳川秀忠が大坂を幕府の「天領」とし、西国支配の拠点として「徳川の大坂城」築城を命じます。ここから「商人のまち・大坂」への新たな「ゆらぎ」が始まりました。
- その後、1634年(寛永11年)三代将軍・徳川家光が、3万7千余の軍を従えて上洛します。
- 同 7月26日 将軍・家光が、築城成った大坂城二の丸高麗橋筋の乾櫓(いぬいやぐら)から「固定資産税の永代免除」を発布しました。
- この頃、幕府の方針で全国的に数多くの神社が遷移・合祀されています。当地の東側にあった式内社・「津桙神社」も 1634年(寛永11年)に、ここ「忍岡」の地に遷座されました。
- 現在の「忍陵神社」は、1911年 (明治44 年)に砂東村(現在の字名奈良田畑地区周辺)の氏神「馬守社」と砂西村(現在の砂地区一帯)の氏神「大将軍社」が「津桙神社」に合祀され、鎮座地の地名に因んで「忍陵神社」と改称されて以後、今日に至っています。