易経で自分らしさを磨く

今日の易占から/地域を楽しむ/観る力を養う

「元号の起源と改元」

〇「今日の易占から」

  • 今日の易占は「沢火革」の「四爻変」でした。
  • 「革」(かく)は、既存の秩序や体制を大きく変革するときです。 
  • 「四爻変」ですから、信頼を得て改革を実行する時期が到来しています。
  • 本日のテーマは、「元号の起源と改元」とします。

 

〇「地域を楽しむ」

  • わが国の元号制度は、7世紀中頃の孝徳天皇の代から始められ、「大化」・「白雉」の2つの元号が定められましたが、孝徳天皇崩御して次の斉明天皇の代からは断絶していました。
  • 日本書紀』の第29巻 (天武天皇下)に、当地域・四條畷ゆかりの持統天皇(幼名・鸕野讃良皇女:うののさららのひめみこ)が、685年の秋から病床に伏した夫・天武天皇を皇后として支え、その翌年の686年7月20日元号(年号)を「朱鳥(しゅちょう)」と定めたことが記されています。元号の復活です。
  • 686年(朱鳥元年)の主な出来事は、改元とともに 都を「飛鳥浄御原宮」と定めたこと、天皇のために諸王臣等、観世音像を造ったこと、観世音経を大官大寺で読経させたこと、などが『日本書紀』に記録されていますが、こうした祈りにもかかわらず9月9日に天武天皇崩御、そして大津皇子が謀反の疑いをかけられ自害させられるのが、同年の10月3日です。
  • 以後、皇后・鸕野讃良皇女が実質的に朝廷を動かしていくことになります。
  • この680年代には、天武天皇が病に倒れたこともありますが、684年に東海から南海・西海一帯に起きた「白鳳地震」を始めとして、大きな災害が頻発していました。
  • 特に「白鳳地震」は、山崩れや大津波で家屋損壊・死者多数、土佐国の田園54万が水没する巨大地震であったことが記されています。朝廷関係者としては、人心を一新し災厄から国の復興に向けていくための一策として、「元号」を改めることも考えたのでしょう。

 

〇「観る力を養う」

  • 今日のテーマ「元号の起源と改元」について、近現代の経緯を以下に整理してみました。
  • 明治時代には、1868年(明治元年)9月8日の「今後年号ハ御一代一号ニ定メ慶応四年ヲ改テ明治元年ト為ス及詔書」という政令があり、そこに「一世一元制」が定められていました。
  • これに基づいて、元号皇室典範で規定されていたわけです。(1889年制定:旧皇室典範第12条「踐祚ノ後元號ヲ建テ一世ノ間ニ再ヒ改メサルコト明治元年ノ定制ニ從フ」)
  • その後、1909年(明治42年)には改元方法が定められ(「天皇践祚ノ後ハ直チニ元号ヲ改ム。元号は枢密顧問ニ諮詢シタル後、之ヲ勅定」する)、また元号は「詔書ヲ以テ」公布すると規定されました。つまり手続きとしては、天皇が自ら定め、自ら詔書で発表するのが「元号」だったわけです。
  • 戦後1947年(昭和22年)に旧皇室典範が廃止され、新憲法の下で新皇室典範が定められましたが、そこには元号に関する規定は設けられませんでした。
  • むしろ元号廃止論が提起され、1950年には日本学術会議内閣総理大臣、衆参両院議長に対して、要旨「元号は不合理、科学的な意味なし、法的根拠もなく、また天皇主権と表裏一体のもので民主主義にはそぐわない」として、元号の廃止と西暦採用について申し入れをしています。
  • 1970年代の末、ようやく動きが出始め、1979年(昭和54年)6月に「元号法」が定められました。その内容は、「一、元号政令で定める。二、元号皇位の継承があった場合に限り改める」となっていて、これは現在でも、最も短い法律といわれています。
  • 2019年(令和元年)5月1日午前0時、「天皇の退位等に関する皇室典範特例法」に基づいて、第125代今上天皇が退位して「上皇」になり、第一皇男子である徳仁親王が第126代天皇に即位しました。この皇位継承を受けて、「平成」から万葉集に拠る「令和」に改元されたことは、まだ記憶に新しいところです。

    f:id:okarina1952:20201127134116p:plain

    元号の発表