易経で自分らしさを磨く

~『易経カード』を人生のシグナルに~

「凛として」

〇「今日の易占から」

  • 今日の易占は「雷天大壮」の「上爻変」でした。
  • 「大壮」(たいそう)は、周囲の騒がしい動きに惑わされることなく、叡智を働かせます。 
  • 「上爻変」ですから、力量が及ばず苦労が絶えない状況ですが、努力を継続してこそ結果が出ますね。
  • 本日のテーマは、「凛として」とします。

 

〇「地域を楽しむ」

  • 当地域・四條畷市では、2013年(平成25年)の第1回「正行シンポジウム」の開催を契機として、その翌年には「四條畷楠正行の会」が発足しています。
  • 同会では、市立教育文化センターを拠点に「小楠公・楠正行」を、後世に語り継ぐための調査研究と情報発信活動が展開されています。
  • 2015年(平成27年)3月に開催された第3回「正行シンポジウム」には、大楠公嫡流第25代末裔として、先祖楠公顕彰活動団体「一般社団法人楠公研究会」の代表理事を務める山下弘枝氏が講師として登場され、熱い思いとともに興味深い話をお聴きしました。
  • 山下氏の公式ブログのタイトルは、「凛として、生きる」です。

 

〇「観る力を養う」

  • 今日のテーマから「凛」という字の語源を観てみました。
  • まず意味としては、「引き締まった、冴えた、清々しい様子」を表す言葉です。
  • 「凛」の語源は、「氷」の象形と「米蔵の象形と穂の先が茎の先端に垂れかかる稲の象形(禾)」とされています。始めの「凜」は「禾」であったものが「示(神に生贄を捧げる台の象形)」に変形したとされます。
  • 米蔵の中で、凍てつくような寒い冬を越す稲の姿に擬えた表現なんですね。
  • さて、当地域・四條畷ゆかりの小楠公・楠正行には、南北朝時代・吉野朝の公家・日野俊基の息女であり後醍醐帝と後村上帝に仕えた女官・「弁の内侍(べんのないし)」とのはかない恋愛のエピソードがありました。南朝吉野朝廷)関係の説話を収録した室町時代の説話集『吉野拾遺』によると、その顛末は以下のとおりです。
  • 時の後村上天皇は、二人の縁を結ばせようとしましたが、父・正成の遺訓に従って、最期の合戦に臨む決意を固めていた正行は、「とても世に ながらうべくも あらぬ身の 仮の契りを いかで結ばむ」と詠んで、この縁談を固辞します。
  • 弁の内侍は失望の中、しばらくして「四條畷の戦い」で正行が壮絶な死を遂げたことを聞いて、正行の真意を悟ります。
  • そして内侍は、「大君に 仕えまつるも 今日よりは 心に染むる 墨染の袖」と詠み、黒髪を下ろして吉野・如意輪寺に置かれた正行らの遺髪と共にそれを埋め、尼となったのです。
  • その後、西蓮華台院(今の吉野町山口にある西蓮寺)に「聖尼庵」と名付けた草庵を結び、正行の菩提を弔いながら余生を送り、生涯の貞節を守ったといわれます。
  • 今日と時代背景は異なりますが、南北朝という先行き不透明な時代にあって、まさに「凛として」生き抜いた「弁の内侍」という人物の存在に触れると、いつも心が洗われるように思います。

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    西蓮寺(吉野町山口)の冊子から転載(楠正行通信第45号)