〇「今日の易占から」
- 今日の易占は「風地観」の「上爻変」でした。
- 「観」(かん)は、深く洞察し、物事の本体・本質を見極めるときです。
- 「上爻変」ですから、広く世間の有様を観察して、これまで自分の行ってきたことを省みます。
- 本日のテーマは、「かまどの煙」とします。
〇「地域を楽しむ」
- 当地域・四條畷・JR忍ケ丘駅の東側丘陵部にある「岡山南遺跡」から発掘された土器などは、古墳時代前・中期(4~5世紀初頃?)の有様を物語っています。
- この遺跡では、当時の住居跡とともに朝鮮半島から渡来人が伝えたとみられる「カマド・甕(かめ)・甑(こしき)」の3点セットも発掘されています。
- これらは「韓カマド」と呼ばれる移動式のセットで、住居内で使うだけでなく、屋外での祭祀などイベントにも重宝されたものと観られます。
〇「観る力を養う」
(仁 徳 天 皇 4 年 2 月・3月の条の口語意訳)
「天皇が高殿に登って遠望すると人家から煙がたっていない。『五穀が実らないので、百姓は炊飯もできないほど窮乏しているのだろう』『今後3年間、課役をやめて、百姓の苦しみをやわらげよう』」
「この日から、天皇は着物ゃ履物は破れるまで新調せず、食物は腐るまで捨てなかった。宮殿の垣は破れても造らず、屋根の茅は崩れても葺かなかった。」
「…その後、天候は好転し五穀豊穣が続いた。3年の間に百姓は豊かになり、徳をほめる声が満ち、炊飯の煙もしきりに立ちのぼるようになった。」
(仁徳天皇7年4月の条の口語意訳)
「天皇が高殿の上から遠望すると、人家の煙が多くたっていた。『私はすでに富んできた。これで心配はない』…皇后の『宮殿が壊れて着衣が濡れるほどなのに、なぜ富んでいると…?』に答えて『天が王を立てるのは百姓のためである。だから王の根本は百姓である。古の聖王はー人でも飢えたり凍えたりすれば自分を責められた。いま百姓が富んでいるということは私が富んでいるということになる』と…」
(仁徳天皇10年10月の条の口語意訳)
「はじめて…宮室を造った。百姓は促されなくても老いも若きも木材を運び土籠を背負った。昼夜を問わず…作ったので、時を経ずして宮室は完成した。…」