〇「今日の易占から」
- 今日の易占は「水火既済」の「五爻変」でした。
- 「既済」(きさい・きせい)は、一通りの完成を見た状態。全体に目配りします。
- 「五爻変」は、困難な課題も仲間とともに克服してきたところですから、功労に報いる気配りが大切ですね。
- 本日のテーマは、「惜福・分福・植福」とします。
〇「地域を楽しむ」
- 当地域・四條畷ゆかりの東洋哲学者・安岡正篤氏は、「福」について、「偶然に他から与えられたものを‟幸”といい、自ら努力・苦心して得られるのが“福”という。不幸に似た“福”もある。」と語っています。(『知命と立命』)
〇「観る力を養う」
- 本日のテーマ「惜福・分福・植福」は、『人間における運の研究』の中に出てくる、「永世棋聖」の称号を持つ将棋界の米長邦雄氏と評論家で英語学の渡部昇一氏とのやり取りから、思い出しました。
- 「運には法則的なものがある。」と語りかける米長氏に対して、渡部氏は幸田露伴の『努力論』を引用して、「惜福・分福・植福」という「3つの工夫」について論じます。
- まず「惜福の工夫」は、たまたま手に入れた幸福を使い果たさず、未来や誰かのために、それを運命に預けておくことです。また「分福の工夫」は、アイデアを本に書き著して広く世の中に広めるなど、他人に分かち与えることです。そして「植福の工夫」とは、後々の世代のために裏山に木を植えるようなことであり、露伴はその意義について、以下のように説明しています。
「人世の慶福を増進長育するところの行為を植福というのである。」
「植福の一つの行為は…、自己の福を植えることであると同時に、社会の福を植えることに当たる。これを二重の意義を持つという。」
「後日、自分にその福を収穫させると同時に、社会にも同じくこれを収穫させる事になるから…。」
- 昨年来のコロナ禍は、見方によっては人間社会に与えられた「不幸に似た福」かもしれません。
- これに耐え、これを克服するプロセスの中に、「惜福・分福・植福」という「3つの工夫」を凝らす場面があるように思います。