〇「今日の易占から」
- 今日の易占は「地沢臨」の「二爻変」でした。
- 「臨」(りん)は、治政に臨む心構えを説いています。 「上下心を一つにして」物事を進めます。
- 「二爻変」ですから、リーダーと志が一致して迷いなく前進します。
- 本日のテーマは、「徳治・王道・治す(しらす・知らす)」とします。
〇「地域を楽しむ」
- 熊本藩士で儒学者の元田永孚(もとだ ながざね)は、1890年(明治23年)の『教育勅語』の起草に関わるなど、明治維新政府の精神基盤形成に寄与した人物ですが、11歳から藩校・時習館で学び、小楠公・楠正行ゆかりの儒学者・横井小楠の教えを受けています。
- また、井上毅(いのうえ こわし)は、同じく熊本藩士で、明治維新政府の官僚・政治家となった人物で、法制局長官、文部大臣などを歴任しています。彼も時習館で学び、1864年(元治元年)10月に、その頃蟄居していた横井小楠を訪ね、学問・宗教論や国際情勢に至るまで討論を交わしています。(『沼山対話』)
- 井上毅は、明治憲法や皇室典範などを起草する過程で、日本の国の成り立ちを『古事記』や『日本書紀』をひもときながら、「治す(しらす・知らす)」の意味を以下のように説いています。
「しらすは『知る』を語源にしており、天皇はまず民の心、すなわち国民の喜びや悲しみ、願い、あるいは神々の心を知り、それをそのまま鏡に映すように、わが心に写し取って、それと自己を同一化し自ら無にしようとする意味である。」(『言霊』)
〇「観る力を養う」
- 本日のテーマ「徳治・王道・治す(しらす・知らす)」について、古代中国の儒学思想からその意味を確認してみました。
- 孔子は『論語』(為政編)において、(読み下し文)「政(まつりごと)をなすに、徳を以てす。たとえば北辰のその所にありて、衆星のこれに共うる(つかうる)がごときなり)」と説いています。
- 国家統治の要は、法令や刑罰、軍隊ではなく道徳や礼儀、つまり「徳治」があるべき姿(理想像)であるというわけです。
- 孟子もこの思想を継承していますが、刑罰や軍事などの力をもって国を治めることを「覇道」とし、道徳や礼儀などの徳をもって国を治めることを「王道」としています。
- 「王道」とは、人格・能力に優れた王者の行う道徳政治であり、「覇道」とは、武力などによる権力政治を指しています。
- 孔子は、徳を政治原理とする仁政を理想とし、孟子は、さらに王道と覇道を区別して、人々に対する支配と保護の及ぼし方に「仁と利・徳化と武力」の違いがあるとしました。そして王道の前提として人民の経済的安定を重視し、そのための諸策を講じるのが「徳政・仁政」につながるとします。
- わが国・日本でも「しらす」という言葉に象徴されるように、儒学を語らずとも同様の考え方が、古来からあったわけです。
- ただ、すでに6世紀末の大和王朝・聖徳太子の時代以降(「徳治」を理想としながらも)、「十七条憲法」~「大宝律令」~「貞永式目」~「武家諸法度」等々が制定されていったように、現実的な政治の世界では、今日に至るまで「法治」が追求されてきたようですね。