〇「今日の易占から」
- 今日の易占は「天水訟」の「三爻変」でした。
- 「訟」(しょう)は、争訟です。争いごとになる前に、適切な手を打つことが大切です。
- 「三爻変」ですから、我を通さず「負けるが勝ち」を知ることが必要ですね。
- 本日のテーマは、「御勝山(おかちやま)」とします。
〇「地域を楽しむ」
- 当地・四條畷の岡山地区にある忍岡丘陵は標高36mあり、かつて全長87mの前方後円墳「忍岡古墳」が築かれた小高い山です。
- 今は忍陵神社、地区会館などが建ち並んでいますが、江戸時代の初めに徳川方が豊臣家を滅ぼした「大坂夏の陣」で、二代将軍・徳川秀忠が本陣を敷いた場所です。
- また戦国時代の16世紀中頃には、畿内を支配した三好長慶の牙城・飯盛城の支城としての岡山城があった場所でもあります。
- 1615年(慶長20年)5月の大坂夏の陣に勝利を収め幕藩体制を確立した江戸期、地域の人々は忍岡丘陵を「御勝山」と呼びました。
- 忍陵神社の境内には、その説明書きの立札が建ち、四條畷の「郷土史カルタ」にも、この「御勝山」が詠われています。
〇「観る力を養う」
- 本日のテーマ「御勝山」から、かつての豊臣家が滅んだ「大坂の陣」に触れてみました。
- さて、大阪市生野区の勝山にある「御勝山古墳」(おかちやまこふん)は、墳丘が標高約14m、墳長約120mの前方後円墳です。(一説では、中臣氏の祖先・大小橋命(おおばせのみこと)の墓ともいわれる。)
- 戦国時代には、石山本願寺の出城である丸山城があり、1614年(慶長19年)12月の「大坂冬の陣」において将軍・秀忠が、ここに陣を敷いて勝利を得たことから、それまでの呼称「岡山」を改め「御勝山」と称したのがその由来です。
- 大坂は「大坂の陣」以降、徳川幕府が直轄する西国支配の拠点とされ、商業・物流を担う「天下の台所」へと新たな発展の道をたどります。