易経で自分らしさを磨く

今日の易占から/地域を楽しむ/観る力を養う

「季節の循環」

〇「今日の易占から」

  • 今日の易占は「地雷復」の「四爻変」でした。
  • 「復」(ふく)は、これから力を盛り返す状況を迎えるとき。大道に従いプランを温めます。 
  • 「四爻変」ですから、自分のやり方で正道を見出します。
  • 本日のテーマは、「季節の循環」とします。

 

〇「地域を楽しむ」

  • 当地・四條畷ゆかりの人物、小楠公・楠正行は、1348年(正平元年)正月の「四條畷の合戦」に臨む前に、吉野の如意輪寺に「辞世の句」:「返らじと かねて思へば あづさ弓 なき数にいる 名をぞとゞむる」を残しています。
  • また江戸幕末の吉田松陰は、処刑される直前、江戸・小伝馬町牢屋敷の中で「辞世の句」:「身はたとい 武蔵の野辺に朽ちぬとも 留め置かまし大和魂」を含めて、16の節(章)からなる遺書ともいうべき書:『留魂録』を残しました。
  • 楠公は20年、そして松陰は30年という、いずれも短かい人生ですが、この『留魂録』をひもとくと、松陰の清々しく充実感に満ちた死生観が読み取れるように思います。

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    山口県文書館所蔵の吉田松陰肖像

〇「観る力を養う」

  • 本日のテーマ「季節の循環」から、吉田松陰の死生観について取り上げました。
  • 留魂録』の第8節に、以下(現代語訳の要点抜粋)のとおり記されています。

「今日、私が死を覚悟して平穏な心境でいられるのは、春夏秋冬の四季の循環について悟るところあるからだ。つまり、農事では春に種をまき、夏に苗を植え、秋に刈り取り、冬にそれを貯蔵する。…未だかって、この収穫期を迎えて、その年の労働が終わったのを悲しむ者がいるのを私は聞いたことがない。」

「私は今30歳。未だ事を成就させることなく死のうとしている。農事に例えれば未だ実らず収穫できていない状況…。だが、…私なりの花が咲き実りを迎えたときだと思う。そう考えると必ずしも悲しむことではない。なぜなら、人の寿命はそれぞれ違い定まりがない。農事は四季を巡って営まれるが、人の寿命はそのようなものではない。」
「…人にはそれぞれに相応しい春夏秋冬があるといえる。10歳にして死ぬものには10歳の中に自ずからの四季がある。20歳には20歳の四季が、…100歳には100歳の四季がある。…」
「私は30歳、四季はすでに備わっており、私なりの花を咲かせ実をつけているはずだ。…もし同志諸君の中に、私がささやかながら尽くした志に思いを馳せ、それを受け継いでやろうという人がいるなら、それは即ち種子が絶えずに穀物が毎年実るのと同じで、何ら恥ずべきことではない。同志諸君、よく考えてほしい。」

  • 松陰は、自らの短い人生を「四季」として観ています。
  • 季節が循環し、毎年草木が各々の時季に生い茂り、あるいは花を咲かせますが、それぞれの四季を生き抜きながら、次世代にその命を引き継いでいるわけです。
  • こうした世界観・死生観は、限りなく『易経』の説くところと重なっています。
  • 自分しかない唯一の「四季」を生き抜く、そのこと自体が尊いことなんですね。