易経で自分らしさを磨く

~『易経カード』を人生のシグナルに~

「則天去私」

〇「今日の易占から」

  • 今日の易占は「山天大畜」の「上爻変」でした。
  • 「大畜」(だいちく)は、大いなる蓄えがあり、これからの発展に向けて資源を活かします。 
  • 「上爻変」ですから、目的・目標に向かう道が拓かれています。
  • 本日のテーマは、「則天去私」とします。

 

〇「地域を楽しむ」

  • 当地・四條畷の郵便番号は「575」で始まることから、従来から市域の風物などを題材にした俳句や川柳を全国から募集して顕彰する事業が行われてきました。
  • さて、「俳句」といえば、かの正岡子規は1867年(慶応3年)の生まれですが、漢詩や俳句に親しんだ文豪・夏目漱石も同じ年に生まれています。漱石が小説家に至る経緯を見てみましょう。
  • 漱石は1889年(明治22年)、英語に興味を持ち東京大学予備門に入学します。
  • ここで正岡子規が書いた漢詩文集『七草集』を読んで、漱石が批判したことにから二人は仲良くなったといわれています。「漱石」と号する 夏目漱石と「子規」と号する正岡子規の出会いです。以降、互いを認め合い、俳句の添削や文学評論などを通じて互いに影響を与え続けました。
  • その後、漱石は文部省の命により、34歳の時にイギリスに留学しています。
  • 日本の文化を重んじていた彼にとって、外国文化の研究は苦痛だったようで、心身を病んでいます。
  • イギリス留学から帰国した漱石は教師になりますが、また精神に異常をきたす中、正岡子規に師事していた高浜虚子に勧められて執筆したのが、代表作となる『吾輩は猫である』になります。
  • 作品は好評価を受け、朝日新聞に入社して文豪への道が拓けていくわけです。

 

〇「観る力を養う」

  • 本日のテーマ「則天去私」は、晩年の漱石が長い人生の最期、その域に達したと語っている言葉です。
  • 「則天去私」とは、私心を捨て自然に身を委ねるという考え方であり、漱石の最後の作品『明暗』は、この「則天去私」を実践すべく書き上げたものといわれています。
  • 次の一句は、漱石が子規と合作した作品です。

「不立文字 白梅一木 咲きにけり」