易経で自分らしさを磨く

~『易経カード』を人生のシグナルに~

「火徳の君」

〇「今日の易占から」

  • 今日の易占は「火天大有」の「五爻変」でした。
  • 「大有」(たいゆう)は、豊作豊漁など大いに稔りある成果が得られるときです。 
  • 「五爻変」ですから、天道に従う誠実なリーダーとして信頼が寄せられます。
  • 本日のテーマは「火徳の君」とします。

 

〇「地域を楽しむ」

  • 「独立国家」についての明確な定義や要件は、私の知る限りではないように思います。
  • 「独立国家」と認められるには、少なくとも他の国から支配されない領地と人民が存在し、統治権力を象徴する者や統治システムが機能していて、一国としての社会制度の下に(国の成り立ちを示す国史を含む)独自の文化・文明を持っている必要があります。
  • この意味で、わが国が独立国家としての基盤を確立したのは、天武天皇とその遺志を継いだ持統天皇の時代(7世紀末~8世紀の初め)と言えるのではないしょうか。
  • 672年、大海人皇子(おおあまのみこ、後の天武天皇)と当地域・四條畷(古代の讃良郡)ゆかりの鸕野讃良皇女(うののさららのひめみこ、後の持統天皇)は、いわゆる壬申の乱において天智天皇の息子・大友皇子を討って、より強固な国づくりに向かいました。

 

〇「観る力を養う」

  • 今日のテーマ「火徳の君」は、中国古代の漢の高祖(劉邦)が「陰陽五行思想」によって自らを「火徳」と位置づけて、軍旗に赤色を用いていたという故事による表現です。
  • 陰陽五行思想は、すでに6世紀にはわが国にも伝わっていたようです。この「五行」とは、この世界を構成する5つの元素「木・火・土・金・水」のことですね。
  • この思想における5種類の各元素は「互いに影響を与え合い、その生滅盛衰によって天地万物が変化し、循環する」という考えが根底にあるとされています。
  • 大海人皇子と鸕野讃良皇女は、二人して陰陽五行や占星術に通じていて、重要な決断に際して度々これらを活用していたといわれます。(『持統天皇瀧浪貞子著他)
  • 大海人皇子(後の天武天皇)は、自身を五行説にいう「火徳」と捉えて、漢の高祖と同じく赤い軍旗を掲げていたことが、『古事記』の記述から判明しています。
  • 瀧浪貞子氏は、『日本書紀』に記される「大海人皇子が朝明(あさけ)郡迹太(とお)川(今の三重県四日市市・朝明川)の辺で天照大神を望拝した。」の部分について、「(大海人皇子の)一行は雨雲が照れ下がって重苦しい気分に包まれていた…その雲間から突如太陽が顔を出し…思わず皇子がその太陽を拝礼した、というのが真相ではなかったか」と推察しています。
  • この時、大海人皇子と鸕野讃良皇女は、雲間から射した太陽の光を「瑞兆」と観じたわけですね。